ミカン山から怒りをこめたメッセージ

(大分)松尾 きよみ

年中無体のミカン作り
私は四浦半島(大分県津久見市)の一隅にあります、荒代というセころでミカンを作っています。
真夏の太陽が照リつける炎天下、家から一歩でるのも怖いような暑い日差しのなかで、山へ登り、
大きなミカンの木に登り、滝の汗をながしながらの摘果作業の毎日です。
ミカンは他の果実と違って、一年中葉をつけています。

そのため世話も大変です。夏の摘果作業が一番体カを消耗させますが一農薬散布、除草、剪定、
収穫時の忙しさは、朝早くから日の暮れるまでで、手をやすめるひまもありません。
重たいミカンのコンテナを抱えて、私は体力もなく、ギックリ腰になって、苦労しています。
ミカン作りは年中無休です。

価格でもよければ楽しみにもなるのでしょうが、私たちの労賃は全く出てきません。
日曜も休みなしで仕事にでている主人の給料で赤字を補填しているのが現状です。
なんのためにミカンをつくっているのかと、いつも思います。
部落で一生懸命作っているおばあちゃんたちにいうんです。

「ミカンとセメントの山しかない津久見市では、セメントは限りある資源、すぐになくなるけど、
ミカンはつくりさえすれば、永久に残るし、農業は国の基幹産業なんだから、がんばりよ」と。
本音と建前はちがうんですよね。


年老いた農民が畑守って
先日、農協婦人部の視察旅行で国東半島へいってきました。
バスの窓から見る景色、町中の田んぼも、いたるところ荒れはてて、セイタカアワダチソウが占領しています。
ミカン山も杉山も、カンネカズラに覆われて、荒地ばかりです。
首都圏の近郊農地では、農地法の法案成立を前提に、地上20階建てのコンドミニアム型ホテル、
24へクタールの敷地の別荘に14へクタールの貸し農園という大規模なリゾート開発がすすめられようとしているとのことです。

荒れ地は計画的に作られているんですね。
だけど、年老いた農民たちの土地にたいする意識は違っています。
牛や馬を一頭も持たない津久見の農業は、山を切り開き、ミカン山にしてゆくのに、すべて自分の体をつかい、
体をいためつけながら、必死で作りあげていったんです。

いま、80歳に近い生産者がその畑を荒らしたくなくて、いまなら、減反さえすれば、国から奨励金がもらえるのに、
甘夏を一生懸命キヨミに作り変えています。
「収穫するまで生きられないかもしれん、でも、畑はキヨミにしときさえすれは、だれかが作ってくれるだろう」と。
土に生きる人の気持ちです。

拝啓知事様 次のミカンは?
このような現状に腹がたち、なんとかしたいと思う気持ちで知事に手紙をかきました。
拝啓平松守彦殿
あなたは覚えていますか、もう10年になるんですねぇ。
あなたが当地、荒代の公民館を訪れて、四浦地区民を集めての座談会のあの日から。
ちょうど一村一品が始まったばかりでした。

当地では、その一品のサンクイーン作りに百姓たちは目を輝かして頑張っていました。
人のよい百姓はまるであなたのことを昔からの友達のように「守彦あん、10年後といいてぇが、
そげぇにはもたんじゃろう、5年後にこのサンクイーンに替わるミカンほ何になるんじゃろうか」。

そのときは笑いですませましたが、オレンジの輸入自由化を合法化させるための昨年の意図的なミカンの大暴落、
あの時、荒代で中心的な働き手だった農民たちは10年たったいま、もう70を迎えたんですよ。
この老人たちに自由化の波は、何をもたらしたか、あなたにわかりますか。
あれ以来荒代のミカン山を見にきたことがありますか。

あれほどきれいに整備されてたミカン山は荒廃園だらけ、そのうえまだ国は減反せよといっているんです。
この狭い島国に、自国の食料をまかなうだけの土地がどこにあるんですか。
荒地を耕してでも自給率をたかめることこそが本来の農業政策のはずじゃないんですか。
「それでもあなたは食べますか」のピデオを見ましたか、ガスマスクをつけた係官たちが、果実を、野薬を、
米までも、倉庫のなかで薬をかけているのです。

添加物だらけの山菜類は5年も、それ以上も野積み、雨ざらし、日ざらし、それでも腐れず、
店頭では生鮮食料として売られているんです。あんな輸入食糧をあなたは食べますか。
あなたへの質問 5年後に植えるミカンの答えは荒れ地づくりだったのでしょうか。
いまあなたは、荒代の農民たちにどんなご指導をして下さいますか、お返事をお待ちいたしております。

無医地区で医療活動も

行政は農民になにもしてくれません。
一人ひとりが政治を動かせるカをつけなければなりません。
いま私は、部落の生産組合長代理をしています。

勤めにでて、一日も畑にいくひまもない彼が、後継者不足のため生産組合長になってしまったものですから、私はその代理です。
朝早くからマイクでよぴかけます。

「おはようございます、生産組合員のみなさんへお知らせします。
本日8時30分より接ぎ木の講習会をおこないます。
明日のあさ、8時より摘果検査をおこないますので全員のかたのご参加をお願いします」。

その同じマイクで医療生協の班会の呼ぴかけもします。
「部落の皆さんへお知らせいたします、本日午後1時より、公民館におきまして健康教室をおこないます。
今日は健生病院の総婦長さんが見えまして、家庭でできる救急看護、寝たきり患者の介護について実施講習をしてくださいます。
なお、血圧測定の練習もしますので、血圧計をお持ちのかたは持ってきてください」。

無医村地区に住んでいますので医療要求は非常に高く、部落の戸数40戸のうち、組合員13戸、血圧計が7台あります。
3人1組でお医者さんになった気分での血圧測定、みなさん上手になり、頭がふらふらするときなど、互いに測りあっています。
血圧がいつもと違うときには私の所へきて「おかしいからもう一度測って」と往診の依頼まであります。

重症の患者さんの家族をつれて健生病院のケースワーカーの所へ相談にいったりします。
忙しいけど、意義ある楽しい活動をしています。
ミカン作りなんかやめて、津久見に診療所を建てるために、この活動に専念しようかと本気で思ったりしているこのごろです。

(大分県津久見市・ミカン農民41歳)
1989年

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