豊後二見ヶ浦の歴史(大分県上浦町)

 上浦町の浅海井海岸にある景勝地、藻崎(現豊後二見ケ浦の旧呼称)に「しめ縄」をかけたらと、時の若者たちが町おこしヘの挑戦の気持ちから、現在の豊後二見の「しめ縄」づくりヘと発展した。

 昭和43年春、松村輝博氏(当時32歳)を監督とする野球チーム、「上浦ファイターズ」が結成された。結成当初ユニホーム等、野球用品を調達するため、浅海井公民館で現在の「綾沢の会」外、皆さんの出演により演芸会を開催。その浄財により、ユニホーム等を揃えることができた。「しめ縄」づくりは、これら浄財を頂いた地域(団体)の人々ヘの謝恩の気持ちからスタートした。


 もともと、この地域では以前より、「藻崎の岩」に「しめ縄」をかけたら、伊勢の二見ケ浦より、もっとすばらしいものになるのではないか。こんな話が囁かれていた。当時大学を卒業して家業(上浦商事)を継ぐため帰郷し、ファイターズの一員でもあった中村正美氏がチームの集会の時に、この「しめ縄」づくりの提案を行った。監督の松村氏が全員に諮り、上浦の観光振興にと話がまとまった。


 昭和44年10月頃から、毎晩のように根木貞敏氏宅のニ階に集まり作業の計画や資金づくり等の打合せを行った。この事業は若者には不馴れな仕事であり、まとまるまでには試行錯誤を重ね、11月末より作業にとりかかった。作業には着手したが、皆な本業をもってのことで、作業に参加する人員が少なく、前半の作業は思うように進まなかった。一番大きな作業はワラの調達と、ワラ打ちであり、直川村、弥生町の役場職員の仲介を受け、農家からほとんど無償で譲り受けた。数量としては、田んばに積んである「こずみ」を6個ぐらい運搬して、暁嵐公園の相撲場付近に納めた。


 先ずはワラのハカマ取りと、ワラ打ちから始めたが、莫大な労力と時間を要した。そこには小中学校の生徒の多大な協力があった。しめ縄づくりは、地域でも経験の豊富な、松田新太郎氏、児玉里城氏、中村義蔵氏、今津友次郎氏が指導にあたった。


 作り方としては、しめ縄の延長が約65メートルあるので打ったワラの中に鉄線を埋め込む形で作った、それをワイヤーに巻き付けた、親ワイヤーの張りつけは、根木栄氏、松田正和氏、松田健次氏,木村勝氏等によって取りつけられた。


 ワイヤーは当時浅海井の暁嵐の山奥でマンガンの採掘をしていた「福島鉱山」より寄贈を受けた。ワイヤーを固定する鉄筋のアンカー部分の加工は「畑野鉄工所」で行った。ワイヤーを止めるためのアンカーとして、男岩(16m)女岩(12m)の両方に鉄杭を打ち込む穴(約25p)を掘った。いずれも手作業で松村輝博氏、森崎俊範氏が数日間かかって堀りあげた。穴には鉄杭を打ち、その外をコンクリートで巻いた。


 12月のはじめは作業が予定通り進まず、中旬からは総動員で作業に取り組んだ。しめ縄が完成したのは12月29目であった。その間松村マス子さんは、誕生過ぎの子供を背に作業している人達の食事の差入れ、炊き出しに献身的に尽した。


 しめ縄は12月30目午前9時より約50人の人々が出て、先ず神社境内でおはらいをして、中学校裏まで運搬(リヤカー使用)。男岩と女岩の間の海上には10隻程の舟を等間隔に配置して、舟の上にしめ縄を乗せて手送りし、男岩のアンカーに固定。女岩側よりチェーンブロック等を使用して引き締めながら、更にしめ縄を下から押し上げるようにして行った。


 作業は午後3時頃に終了した。終了後、完成を祝って沖バソの上で祝盃をあげた。翌12月31目は寄付(金品)を戴いた方々のお礼廻りと公園内の片づけ、清掃のため夜10時頃までかかった。


 この、「しめ縄」づくりは当初、上浦ファイターズが昭和44年暮れより、昭和46年まで実施したが、余りの大きな事業のため、予算や労力面で限界となり、昭和47年より、菅町長にお願いした結果、町の行事として産業課が主体となって取り組むこととなった。


その後、昭和52年より町商工会が町補助全を受ける形で実施するようになり今目まで続いている。

(平成12年4月 上浦町商工会 事務局長 吉岡吾一)


第1回(昭和44年)「しめ縄」づくり協力者名簿
上浦ファイターズのメンバー
 松村輝博、中村正美、根木貞敏、上杉正生、今泉一郎、 富高正豊、青木建
 、藤田建三、 森崎満、森崎俊範、
吉岡定光、松田健次
一般の協力者
 松田新太郎、児玉里城、今津友次郎、松田馨、根木栄、 中村義蔵、木村勝
 、松田正和、松田剛志、松田和也、
藤田正紀、児玉勝義、松村広、松田寛
 、松田卓也、
木村幸成 その他多数の皆さん
 浅海井地区の東雲小中学校生徒の皆さん

しめ縄の大きさ

 長さ65メートル重さ約2トン最大直径約70センチ

豊後二見ケ浦の年表

 昭和44年 第1回「しめ縄」張りを行う(上浦ファイターズ)。
 昭和47年 上浦町産業課を主体に張替を行う。
 昭和51年 笑福亭仁鶴さんが来訪、テレビ放映で紹介する。
 昭和52年 上浦町商工会が町補助事業として張替を行う。
 平成 6年 「シーサイドフェスタ」の一環としてライトアジ プを始める。写真コンテストを実施。
        
ギネスブックに登載される。
 平成 7年 上浦町の姉妹町の荻町よりワラの提供を受け交流 始まる。
        商工会青年部、元旦に甘酒、ぜんざい、
の無料サービスを始める。
 平成 9年 元旦に「ズームイン朝」でテレビ全国放映される。
 平成10年 「しめ縄」張替行事30周年記念、神事を行う。
 平成11年 2000年記念、「願い事」をしめ縄に編み込む。
         新春ラブラブトークを行う。

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